英文学書をどんなに読もうと、それでコミュニケーションをしたわけではなく、ただ読んで訳していたのですから無理もないのです。その当時は今と違ってそのようなものを得る機会もインフラもなかったのですからしかたありません。それから1年、アメリカに生活してもあまり分かりませんでした。もっとも、アメリカ人と生活をともにしていましたので、分からなくても彼らの音には慣れていきました。また、彼らの行動や物事に慣れていき、違和感はなくなりましたし、自分もやってみたいと思いました。しかし、あまりよく話せませんでしたし、言っていることもあまり分かりませんでした。ところが、1年過ぎたある時期から突然、アメリカ人の友達と堰を切ったように話し始めました。今考えると、初めの1年はいろいろなことにさらされてイメージが蓄積されていたのです。ですから、それがある程度できてきた途端にいろいろなことが分かり始めたのです。このように、ことばや文化にまずさらされなければその先に進めません。